母を見て思うこと

今日は、午前中が自分の病気の診察で通院し、午後は父を連れて入院している母との面会に行きました。
ちなみに病院は同じところです。精神疾患になったことがきっかけで、私も同じ病院に行くことになりました。
多分、母が入院していなければ、行かなかったと思います。

新型コロナウイルスの関係で、母とは直接会うことはできず、閉鎖された病棟のガラス張りの入り口で10分程度会うことしかできず、こんな状況が1年以上続いています。

母は脳梗塞になってから、もともの持っていた認知症が悪化し、今はもう自分で食事(嚥下)をすることもできなくなり、鼻から管を通している状態になっています。

お医者さんの話だと、認知機能が低下していくと、飲み込む行為や食事する行為そのものを忘れていくそうで、そうなると、いつどうなるかわからないとのことでした。

以前、父が食べることができなくなったら、もう長くはないとかいう話を私にしていたのですが、それは本当のことだったんだと、ここに至ってようやく理解しました。

そんな状態になって2週間過ぎて、今回会うのが2回目でしたが、ベッドにいる母は、私たちを見て一瞬だけ反応しましたが、あとは苦しそうに目をつぶってしまいました。

そんな母に父は、ガラス越しに何度か声を掛けますが、当然反応はありません。
反応しないこと自体は、それ以前からもあったことですが、そのときはまだ多少はあったのに対し、今はもうなくなってしまいました。
また、明らかに衰弱していってる感じもありありでした。

私は父に今となってはもうどうすることもできないとか、残念だけどこれが現実なんだよと言って、そのときは母が哀れだという気持ちはありましたが、それ以上にもう残された時間はそう多くないなという自分でも驚くほど冷静な感情でした。

いや、冷静というよりは、直接面会できない期間が長すぎて、実感が薄いのかもしれませんし、もしかすると冷静な強がりをして自分に言い聞かせていたのかもしれません。

一方、父も現実は認識しているものの認めたくない気持ちが強いようで、私に奇跡は起きんのかと言ってましたが、そんな父に対して私は奇跡はそんな簡単に起きないから奇跡っていうんだと、無意識のうちにKANONの栞ちゃんの台詞を借りて言ってしまいました。

父は、母が無反応なことにひどく落胆して、張り合いがないとか不平不満を漏らす一方、なんとかならんのかという気持ちから、看護師さんにもう自分がいても反応しないんですよねと、落胆しながら聞いていましたが、看護師さんは、最初に反応したことを話して、そんなことはないですよと答えてくれましたが、多分それは父が望んでいた答えとは違うんだろうなと内心思う自分がいました。

また食事できるようになりますとかいう希望が持てる答えが欲しかったんだろうなと……

いつ終わりがくるのかわからない状態ですので、その時が訪れても対応できるように下準備は進めていますが、具体的なところはまだできていないので、これも今のうちにやっておかないといけないと感じました。

新型コロナウイルスの関係で面会自体は1か月に1回となっているため、次に母と会えるのは4月なので、この状況が一刻も早く改善されて欲しいと願わずにはいられません。

こうして書いていると、だんだん母のことを思い、泣きたくなる気持ちが膨らみました。

もうできることはそうないので、ただ母が苦しい思いをしないですむことを祈るばかりです。