母のこと

今回も重い話題で申し訳ありません。

私には血管性認知症になって2年近く入院している母がいます。

その母が食事を摂ることができなくなって、鼻から管を通して胃に直接栄養分を摂る方法を行うことや、それが難しければ胃に直接管を通す胃ろうをしなくてはならない旨を、その病院の内科の先生に告げられました。

その中で、認知症が進行して自分で食事を摂ることはもちろん、つばなどを飲み込むこともできない状況ということで、先生の話からは、認知症が進むとそういう行為自体を忘れていくそうです。

その話を聞いたとき、人間の本能だから食べることは消えないものだろうと思っていましたが、認知症はそんな当たり前なことすら消してしまうのだと思うと、認知症がいかに恐ろしい病気なのかを痛感しました。

また、内科の先生からは、熱が頻発していることが伝えられ、肺炎は今のところ起こっていないが自力で嚥下できないため、肺炎や気管支炎などを誘発する可能性がつきまとっていることや、年齢的なものから、いつどうなるか分からないので、その心づもりを持ってくださいと言われました。

実は母が入院している病院が精神科だったこともあって、自分もその病院にかかるようになっていたので、そういう話を自分の診察後に聞かされ、正直このタイミングでそういうことになるのかって軽く絶望しました。

しかし、遅かれ早かれそうなることは予期されていたことではありますので、少し時間が経てば自分でも驚くぐらい冷静に事実を受け入れることができ、来るべきときに備え、段取りを取り始めることができました。

振り返ると、母は年取って産んだ私にべったりだったと思います。また、私のことを一番に考えてくれていたと思っています。

よく近所のひとや商店街で買い物で会ったひとに私のことを自慢の息子のように言って、まわりの空気が悪くなるのもお構いなしだったときもありました(正直、私はそんな自慢できるほどの経歴はありませんが、母はそう思ってなかったようです(汗))

ごはんやお弁当は毎日作ってくれましたし、基本的に私の好きなものは必ず作ってくれた記憶もあります。

しかし、母が今日の状態になるまで、私は母の優しさや私に対する気持ちを遅すぎるくらい遅く今になって気づきました。

正直、母が晩年のときは、私の言うことを聞いてくれず、好き勝手に散財したり、病院に行くように勧めても、「私は農家の人間で健康だから、あんたたちと違って病院になんか行かなくていいの!」と言われたこともありました。

もちろん、健康に留意した食事もせず、薬も飲むことをしなかったので、糖尿病になり、そこから何度か入院する病気にもなりましたが、少しよくなったら入院先の病院で医師や看護師の言うことを聞かず、「私は家に帰るの!」と大声を出したりして大立ち回りをしたりして、平日に関わらず病院から呼び出されることもたびたびありました。

そういうことをし始めたときから、認知症の気配はありましたが、本人の病院嫌いと私や父が言っても聞かないということもあり、認知症の治療はもちろん、本人の健康管理もできませんでした。

また、その頃になると、母の散財癖と父の経済観念のなさから金銭的な問題の発生や、ここでは割愛しますが私が実家に立ち寄りたくなるような事態が起こり、父母とも疎遠がちになってしまいました。

後者の事案については、正直、一緒に住んでいる母の夫である父の対応に大きな問題がありましたが、じゃあ私はまったく問題がなかったのかというと多少はあったんだろうなという気持ちはあります。

ただ、私が再三両親に言っても聞いてもらえませんでしたし、父に至っては自分の妻である母親のことも含めて何か問題が起こるたび「お前がなんとかしてくれ」と丸投げばかりでしたので、それで心の底から嫌気がさして、父母を遠ざけ、父から電話があっても放置していた時期もありました。

しかし、それでも母は別に意地悪したりとかでやっているわけではないことはわかっていましたので、それだけに始末が悪いところもありました。

そして、2年前の1月6日に、母が脳梗塞を発症し、それがもとで血管性認知症を発症し、私が知る母がいなくなりました。

救急搬送された病院や今いる病院に転院した最初の頃はそう状態で、以前別の病院で入院していたときとは比べ物にならないくらい大立ち回りをして、見舞いに来た妻や義母を罵倒したり、父に向かって「〇次郎(父の下の名前)はどこ行った!」と叫んだり、私に向かって物を投げつけるなど、とにかく凄かったのひと言に尽きます(それ以外にも私が病院に行ったとき、看護師さんから母のびっくり仰天行動のことをたびたび聞かされ、このとき看護師さんのご苦労を痛感しました(汗))

入院したばかりの頃は、それでも自分で多少行動することはできていましたし、それなりに私や父のことは覚えていましたので、安心していた部分はあります。

そこからケアマネージャーの勧めで近くの精神科に転院して、本格的に治療を始めてからは穏やかになりましたが、その反面、かろうじて私と父のことを覚えている程度で、さらに会話も成立しない状態になりました。

しかし、それでも他の病気をしていないのが幸いかと思い、日々を過ごしましたが、今年に入ってから体調を崩すことが多くなり、さらに食事もしなくなってしまい、今回の結果に至りました。

私自身、想定外だったのは、新型コロナウイルスの流行で、母との直接的な面会が1年以上できなくなったことです。

母が起きていて昼ごはん前でタイミングが合えば、閉鎖された入口のガラス越しで会うことはできましたが、それだとただですらままならない会話が、さらにまったくできず、正直会っている感じがほとんどありませんでした。

そのとき、よく母がドアが開かないことをしきりに気にして開けようとしたのを覚えています。

それがほんの2か月前でしたが、それが急に最後を意識する状況になるとは思っていませんでした。

今母のことを思うと、母にもっといろんなことをしてあげられたのではないかという強い後悔の念にかられます。

ほんと親孝行って、できなくなって初めて考えるものなのだと思いました。

今の私にできることはもうほとんどありませんが、できることはやっていこうと思います。